「子や孫の世代を考えて意思決定する」という時間軸
モデレーターの西村勇也さんから阿部さんへいくつか質問が投げかけられました。1つ目は、「海士町へ移住した理由の決定打は何でしょうか」という質問。
これに対し、阿部さんは、「島民の情熱」がカギだったと答えます。
「町長や役場の職員をはじめ、人間として尊敬できる人たちがたくさんいました。大好きな島を失いたくない。勝つためではなく、“守るため”に強くなる。命を削るような、強烈な危機感がそうさせました。守るべきものを持っている人たちが輝いて見え、その強さを自分も手に入れたい、と思ったんです。それが決定的な要因でした」
(左から)モデレーターの西村勇也さん、阿部裕志さん。質疑応答では阿部さんが根底に持つ人生観などを伺いました
もともと愛媛県出身でかつて住んでいた愛知県の大企業に就職したが、一念発起し海士町にIターンした阿部さん。「トヨタから海士町へ移って得られたこと、1番大きな変化は何でしょう」と西村さんが質問を続けます。
「いちばん変わったのは“物事を判断するときの時間軸”です。以前は極端に短かったんです。人生の決断をする時の時間軸でも、長くて自分の寿命。しかし今は、海士町の悠久な時間の流れに身を置いて、経営者としての意思決定も、子や孫の世代にとって何が必要かを考えて判断する。そのことで“腹落ち”がします」(阿部さん)
また、西村さんから平均的な1日のスケジュールを聞かれた阿部さんは、このように答えました。
「朝は7時起床です。余裕があるときは走ってから8時半に出社します。地域の飲み会が毎日のようにあり、夕方6時半にはたいてい帰りますが、夜10時くらいまで会社にいることもあります。しかし、勤務時間中に今なら“綱引き大会”の練習や、田んぼの水を見に行くなど、“稼ぎではない、地域の仕事”の時間が断続的に入ってきます」
綱引きの練習の様子(提供:巡の環)
「“稼ぎ”となる仕事は島外の人とのつながりが肝心なので、Skypeなどで外部と頻繁にやりとりします。その一方で、築110年の古民家観光施設の一角に指定管理者として入居。そこにオフィスを構え、かまどでお昼ごはんを炊き、近所の人からときどきおかずの“おすそわけ”をもらう。そんな毎日です」(阿部さん)
昼食はかまどで炊いたごはんと、おすそわけのおかずを食べる(提供:富士通デザイン株式会社)
「“稼ぎ”一辺倒から少しでも“暮らし”と“仕事”を取り戻す生き方、働き方は都会でもおそらく不可能ではありません。たとえば週末はNPO活動に携わる。月に1回、地域で土と親しむ。“足るを知る”に目覚めれば“もっと稼がなきゃ”という脅迫観念から解放されるのではないでしょうか」
「信頼資本を築く」ことにエネルギーを注ぐ
会場の参加者からも、阿部さんへ質問が続きます。「海士町の人たちが危機感を持って島をこうしていきたいという思いと、阿部さんが抱いている起業への思いのすり合わせはどう行ったのか」という問いには次のように答えました。
「“地域に入っても熱意が空回りし、浮いた存在になってしまう”という、ありがちな罠に陥らなかったのは、トヨタ時代に叩き込まれた“現地現物主義”のおかげでもあります。一方で地域には言葉にならない、目に見えない大切な価値観がたくさんあるだろうと当初から思っていました。だから地域の人たちと毎晩飲み歩いて、それを実感することにエネルギーを注ぎました」
それができたのは、共に起業したメンバーがWebディレクターとして稼ぐ手段をすでに持っていたから。そのため、阿部さんは地域の人から「あの人は自分たちに何か良いことをしてくれるんじゃないか」という信頼感を一言で表した“信頼資本”を築く役割に徹することができました。
そのおかげで7年たった今では地域の人たちと喧嘩ができるくらいの間柄になっていると話しますが、頻繁に東京などへ出張に行くと、住民の方から「“東京ばっかりに行って”と、信頼貯金が目減りして赤字になってしまい、また海士町に戻ってから貯金を貯めることになります」と笑います。
また、トヨタのオペレーションについての考え方で世界から支持されている「カイゼン」、そして「現地現物」の考え方は阿部さんにとって欠かせない財産です。海士町に溶け込むためにいろいろなことを提案してみるものの、この道数十年のベテラン住民はその提案はなかなか聞いてくれません。そこで、週末に自分でやってみたうえでその結果を報告し、納得してもらいます。それはトヨタでも海士町でも同じ。自分でやるからこそ、その場の人たちに信じてもらえると話します。
後半のダイアローグセッションでは参加者からワークスタイルをテーマにした9つのトピックが提示され、他の参加者が関心のあるトピックについてグループになり20分ずつ、2回に分け対話を行いました。
参加者から切実な自分ごとや社会に対する問題提起など、さまざまなトピックが集まりました
当日挙がったトピックとしては、「地方で暮らす親」「家族を都会に置いて地方で働けるか」「東京にいて地方に貢献する方法」「兼業会社員になるには」「死ぬほど働くのは悪なのか」など、いずれも切実な「自分ごと」で他人のアイデアや意見を聞きたいと熱望するテーマばかりでした。
阿部さんも、自分の問題に重ね合わせて1周目は、「地方で暮らす親」、2周目は「兼業会社員になるには」のトピックに参加。話し合い、刺激を受けた様子でした。
最後に阿部さんは、実現したい理想をあるフレーズにまとめました。それは「地域も都会も、高齢者も若者も共存する暮らし方」。海士町でまさにそのワークライフスタイルを追求する阿部さんの姿とダイアローグを通じ、参加者はワークスタイルを見直すきっかけを得たのではないでしょうか。
海士町から探る「暮らし」「仕事」「稼ぎ」のバランス これからのワークライフスタイル探求プロジェクト ――第3回イベントレポート(前編)