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社会課題を解決する先進的なアプローチをご紹介します。

世界的に有名な社会起業家 ジョン・ウッド氏に出会ったことをきっかけに、ANA「Blue Wing」の深堀昴さんは、社内外に協力の輪を広げていく。日本を代表する航空会社の社内が若手社員の想いに呼応し、ついに社内プロジェクトとして立ち上がるまでの約2年半の軌跡を追った。

空を通じて、社会起業家と企業がWin=Winの関係を築く ――ANA「Blue Wing」(1)
飛行機は夢と挑戦の象徴 ――ANA「Blue Wing」(3)

“10回に9回は失敗”励ましの言葉

社外でのリサーチは、グローバルアジェンダセミナーに参加していたパイプを活かし、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、世界自然保護基金(WWF)、ヒューマン・ライツ・ウォッチといった国際機関やNGOに話を聞いた。いずれも「航空移動のサポートは欲しい」とのことで、ニーズが存在する確証を得た。

より全社的な活動にしていきたいと考えた深堀さんは、研修で一度しか接点のなかったセールス部門のマネージャーにいきなり「世界を変えるビジネスモデルを思いつきました」とメールを送ったという。

「入社3年目の若造のメールに返信いただき、会ってくれる機会を得ました。グローバルなビジネスに経験豊富な方で、お話ししたところ、〈おもしろい、海外のプレミアム層にアプローチするいい切り口だ〉と言ってくださいました。ただ、もっといろんな人の意見を聞いてみなさいと、広報やマーケティングの方々を5名ほど紹介いただきました。すると全員がおもしろい、とおっしゃったのです。これはうれしいサプライズでした。社外と社内のニーズがマッチしたんです」

約半年後の2010年9月、深堀さんはリサーチ結果を反映した企画をもう一度CSR担当部署にプレゼンするなど、依然として精力的に活動していた。そんな中、社内にもっと貢献するためには、ワンウェイの寄付や社会貢献が主軸のCSR活動ではなく、もしかしたら違う部署に提案した方が会社としても応援してくれるのではないかということに気づきはじめる。その迷いの結果なのか、そのプレゼンでも「もっとがんばって欲しい」という励ましともとれる回答をもらった。

「サポートしていただいた石倉先生に〈がんばってみましたがうまくいきませんでした〉と報告すると〈2~3回程度の失敗でクヨクヨしない! 新しいことは9回挑戦して10回目でやっと成功するものよ〉と励まされました」

石倉さんは、ANAのアドバイザリーボードの委員長だったウシオ電機の牛尾次朗会長に相談する。「それはCSRではない。企画を持っていく先が違う。もう一度別の部署に提案し直すべき」とのアドバイスに基づき、ブランディング担当のトップに再び手紙を書く。「石倉先生には頭が上がりません」と深堀さん。

“なぜANAが?”が“これだ!”に変わる瞬間

ブランディング担当のトップにもプレゼンし、「おもしろい」とお墨付きをもらった。その後、マーケティング企画のリーダー(現・マーケットコミュニケーション部部長)がさらに後押しすべく、セールスおよびマーケティング部門に関わる部長、副部長を集めた検討会がつくられたのが2010年11月。おおむね好感触だったが、まだ何かが足りない・・・・・・と検討会で模索続ける日々が続いた。

考えあぐねているうち、2011年3月になった。奇しくもBlue Wingプログラムのミーティングをしている最中、東日本の大地は大きく揺れた。

「Blue Wingはどうなるんだろう」と深堀さんは思った。「まだANAをよく知らない、国際線に乗っている海外の社会起業家にスポットを当てるプログラムなので、東日本大震災が起き、私たちが支援する側から支援される側に回ってしまったら、それどころではありません。ただ、グローバルアジェンダセミナーで学んだのは世の中を変えること。それを諦めたくはなかった。そこでBlue Wingプログラムを東北の復興支援を中心にした内容につくり変えることにしました」


提供:全日本空輸株式会社

ボランティアツーリズムに姿を変えて深堀さんは被災地支援に乗り出した。だが同年7月、非公式委員会メンバーに内容変更のメールを送ったところ「たしかに想いはわかるけど、それはもはやBlue Wingではないよね?」との返信。深堀さんはこれからどうすべきか悩んだ。

一方、グローバルアジェンダセミナー1期生のビジネスモデル・コンテストでBlue Wingプログラムはグランプリを獲得。その報奨としてジャカルタで開催された世界経済フォーラム東アジア会議に参加させてもらった。その場で世界のビジネスリーダーや社会起業家にBlue Wingプログラムをプレゼンしたところ、確実にニーズの手応えを感じた。「やはりいける!」――深堀さんは自信を取り戻した。

そんな折、世界経済フォーラムでも何人か会ったアショカフェローを選出しているアショカの日本チャプターができたことを知った。アショカジャパンが主宰する、東北の未来のために何かしたい若者に試行錯誤の場を提供する試み「東北ユースベンチャー」の活動を目の当たりにして、ついに“今までやりたいと思っていたこと”と“会社として応援する意義”が重なった。

「検討会での議論は、“なぜその社会起業家をANAが支援するのか”というものでした。誰を支援するにあたっても根拠が見えにくかったんです。アショカフェローという世界最大の社会起業家ネットワーク。その日本チャプターは東北を支援している。日本のグローバルエアラインであるANAがアショカフェローの航空移動をサポート。これなら一本、筋が通っていると考えたのです」

2012年1月、「最後のチャンスなので1時間ください」と検討会をつくったマーケティング企画のリーダーにプレゼン。「よし、これで上にあげてみよう」という結論を得、さらに新任のマーケティング室長も「よし、やってみよう」と賛同してくれた。社内外の奇跡的な出会いが重なり、いよいよ会社の正式なプロジェクトとして動き出す目前までやってきた。

会社の「バーチャルハリウッド」制度が決定打

バーチャルハリウッド制度は既成概念にとらわれないアイデアを企画し、部門や仕事の境界を超え賛同する有志を募って実現をめざすボトムアップ型の社内制度。2004年からはじまり、その当時で「ANAグループ安全教育センター」や「空の上の結婚式」などの案件が実現していた。深堀さんはこの制度を最後の一押しとして活用し、世界にまたがるANAという会社から仲間を募った。

「なぜバーチャルハリウッドを使うのか。あれはゼロから企画を立ち上げるために利用する制度で、Blue Wingはすでに企画ができているのにまた遠回りになるのではないか、と言われたこともありました。しかし、ジョン・ウッドさんとの出会いから2年、1人で続けるのは限界で、気持ちを同じにする仲間が欲しかったんです」

2012年8月、バーチャルハリウッドの制度に乗せて募集をかけると、全国各地のANAグループから30名を超える、同制度での最高人数となるスタッフが応募してくれた。「何かしたい、一緒に活動したい」という熱いスタッフが集まった。深堀さんは応募者全員と面談。当然、地方にも会いに行った。応募者が驚いたのが1時間を超える情熱がこもったプレゼンテーション。誰もが圧倒され、27名の同志が集結した。企画は完成しているが、どのように運営するかについて毎日のように連絡を取り合い、東京・汐留の本社オフィスにも業務時間外の午前7時から集い、議論を重ねた。

同年12月、役員プレゼンも通過し、会社として正式にゴーサインが出た。2013年4月、Blue Wingプロジェクトチームがマーケティング室に発足。深堀さんはそこから「勤務配慮」という扱いでアショカフェローのワシントンD.C.本部とも接触をはじめた。そして長年の夢であった、プロジェクトスタートが2014年2月。2014年4月からは晴れてマーケティング室に異動し、正規業務の1つとして取り組んでいる。

「4年の歳月は長かったですが、必要な時間でもありました。仲間も必要だったし、震災の前にはじめていたら終わっていたかもしれません。グローバルに活躍するチェンジメーカーの航空移動をサポートすることで、その先にいる大勢の人たちとつながることができます。その人たちは、従来ANAがリーチできなかったお客さま、そして将来のお客さまです。航空機の翼を通じて世界中の人たちに夢と感動を提供できる。それが僕にとってこの企画の最大の魅力です」

ついに空にはばたくことになったANA「Blue Wing」。さらに大きく支援を得るため、参加する仲間たちの気持ちをあわせ、プロジェクトを加速させていく必要がある。過去深堀さんがそうだったように、業務時間外で参加するメンバーも多い本プロジェクト、その原動力は何なのか。熱い思いと“次の一歩”について聞いた。

飛行機は夢と挑戦の象徴 ――ANA「Blue Wing」(3)へ続く
空を通じて、社会起業家と企業がWin=Winの関係を築く ――ANA「Blue Wing」(1)


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