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新たな共有資産は、田舎に眠る ――NPO法人えがおつなげて(1)

2014年10月10日



新たな共有資産は、田舎に眠る ――NPO法人えがおつなげて(1) | あしたのコミュニティーラボ
農作業を社員研修に活用する「企業ファーム」。農村起業の人材を育てる「えがおの学校」。NPO法人「えがおつなげて」は、都市と農村をつなぐ多様な交流事業を通じて、地域共生型の市民ネットワーク社会の構築に挑んでいる。田舎の眠れる資源をサプライチェーンに乗せ、地域の人々を巻き込みながらまちを元気にしていく様子は、新たな価値づくりを試みる人の活動の大いなるヒントになるはずだ。編集部が現地に赴いた様子を交え、全3回でお届けする。

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ソーシャルビジネスに必要な「まちづくり五箇条のご誓文」とは? ――NPO法人えがおつなげて(3)

企業ファームを通じて生まれる新たな価値

山梨県北杜市須玉町増富地区。都心から車で2時間強、秩父多摩甲斐国立公園内にある集落の棚田で、三菱地所グループの社員や家族らが農作業をする。都市と農村をつなぐ「空と土プロジェクト」ツアーは2013年に10回開催され、303人が田植えや野菜収穫などを体験した。そのなかには、三菱地所グループが分譲・管理するマンション居住者も含まれている。丸の内エリアの就業者が田植え・稲刈りした酒米は、県内の老舗酒蔵「萬屋醸造店」の協力を得て純米酒「丸の内」に結実。今年、4,400本を製造し、その一部を丸の内エリアのレストランやショップ等で販売した。


純米酒「丸の内」。丸の内エリアで販売されたものはすぐに完売となった。

およそ5ha(ヘクタール)の水田は耕作放棄地だったが、今ではNPO法人「えがおつなげて」が運営する「企業ファーム」の拠点となっている。これは農村資源と企業ニーズを結びつけたプロジェクト。えがおつなげてが借り受けた農地で、社員や顧客が農作業に従事し、収穫した作物は企業が自由に使える。農地管理費とイベント運営費が、えがおつなげての収益源。企業はCSR、社員研修、原料調達、新規事業開発といった目的で企業ファームの農地を活用する。

博報堂/博報堂DYメディアパートナーズは、2013年に正式研修プログラムとして10回の農業体験ツアーを実施。農作業という非日常の体験を通じてリフレッシュし、部門や職階を超えたコミュニケーションが活発になった。


博報堂社員による田植えの様子(提供:NPO法人えがおつなげて)

明治35年創業の老舗和菓子店、金精軒は、地元の在来品種「青大豆」を栽培。社員自ら種をまき、草を刈り、収穫した青大豆で新商品を開発し、地産地消のビジネスモデルを築いている。

えがおつなげての企業ファームを利用するのは現在13社(11社、2団体)。三菱地所グループは社員の間伐体験ツアーをきっかけに森林資源の活用にも取り組んでいる。2011年、山梨県、三菱地所、三菱地所ホーム、えがおつなげての4者は、山梨県産材利用拡大の推進に関する協定を締結。2×4住宅の構造用部材などに山梨県産カラマツの間伐材・小径木を使用し、三菱地所ホーム注文住宅の国産材比率は50%を超えた。このように、えがおつなげての企業ファームは、社会的価値と企業的価値を両立させるCSV(Creating Shared Value)の起爆剤にもなっている。 

「日本の農村資源は眠れる宝の山です。40 万haの耕作放棄地。ほぼ放置状態にある先進国第2位の森林資源。政府の成長戦略に組み込まれ、農業生産法人の規制緩和も進むでしょう。日本の農林業は今後5年でがらりと様変わりしますよ」。えがおつなげての代表理事、曽根原久司さんはそう断言する。

「お互いさま」コミュニティーで役割を果たす

曽根原さんが東京から現在の北杜市に移住したのは1995年。阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた激動の年だ。バブル経済の崩壊後、不良債権問題が深刻化し、製造業の海外移転で産業の空洞化も進み、日本経済の構造は大きく揺らいでいた。金融機関をクライアントとする経営コンサルティング会社を起業して軌道に乗せていた曽根原さんは「21世紀は農業のような1次産業が重要になる」と直観し、コンサルタントの仕事を続けながら農業で新規事業を立ち上げようと、地方に拠点を移した。「世間からの見られ方は〈変わり者〉以外の何者でもありませんでした」と曽根原さんは当時を振り返る。


NPO法人えがおつなげて代表 曽根原久司さん

なぜ現・北杜市を選んだのだろうか。ミネラルウォーターのシェアが全国の約30%。富士山、八ヶ岳、南アルプスが望める自然景観。日照時間が日本一。全国第2位の耕作放棄地率の山梨県でもナンバーワンの800haの耕作放棄地。こうした農村資源が豊富なことに加えて、巨大市場の首都圏から車で2時間程度のロケーションが決め手になったという。

北杜市に合併する前の白州町に土地を買ってログハウスを建て、100坪の農地を借りて自給のための野菜づくりからはじめた。知人の家族にもおすそ分けし、イベントを仕掛けて顧客を増やした。だが、「よそ者」がすんなりと地域に溶け込むのは容易ではない。どのようにして地域社会で認められたのだろうか。

「実は、あんまり苦労した覚えはないんです。高校卒業まで長野県飯田市に住んでいて、親戚や近所の農家でよく手伝いをしていたので、農村コミュニティーとの接し方は体に染み込んでいます。一言で言うなら、文化の違いをまず理解すること。都市の人間関係は権利・義務に基づきますが、農村の人間関係は〈お互いさま〉コミュニケーションの文化。どちらが良い悪いではありません。また、九州だったら違ったかもしれませんが、長野と山梨では風習が似ています。だから入りやすかったのだと思います」

新住民を集めて「組」をつくり、組長兼農事役として自治会の仕事に励むうち農業委員会とのパイプも生まれ、借りられる農地面積も増える。地域の役割を果たし、コミュニティの仲間として認められたから農業者になれたのだ。

農村コミュニティーの文化を理解し、企業ファームやイベント、「組」を通じて、徐々に新しい価値観を農村にもたらしていった曽根原さん。自身の活動をどのように広げていったのか。次に取り組みの様子と、その中で出てきた大きな壁、そして曽根原流の乗り越え方を教えてもらった。

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