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“働く”は責任でもあり、生きがいでもある──認知症と向き合う働き方とは(前編)

2016年09月02日



“働く”は責任でもあり、生きがいでもある──認知症と向き合う働き方とは(前編) | あしたのコミュニティーラボ
高齢者の約4人に1人が認知症またはその予備軍。その患者数は増え続けている。その一方、症状はアルツハイマー型、レビー小体型、脳血管性などさまざまな種類があり、「認知症」と1つにはくくれない。 では、子どもが小さく、働き盛りで認知症になってしまったら? 39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された丹野智文さんは、働きながら自らの経験やその工夫を公表することで、認知症の当事者が生きる希望を取り戻すきっかけを提供している。その一方、働きたいという当事者に対して、支援を行う人たちもいる。働き方と認知症の今を、働く側、支援する側それぞれの視点から見つめた。

認知症の「2年の空白期間」を埋める存在へ──認知症と向き合う働き方とは(後編)

顧客400名、若きトップセールスマンが感じた異変

ネッツトヨタ仙台株式会社の丹野智文さんは、就職3年目で系列のフォルクスワーゲン販売店に異動してから、めきめき営業の腕を上げた。顧客に寄り添う営業スタイルがモットーで、愛犬家なら犬の切手を貼った手書きのハガキを出す。雨が続けば「大雨、大丈夫でしたか?」などと必ず気遣う。クルマを売るのではなく自分を好きになってもらい、訪問するのではなく販売店に来てもらう。こうして「クルマを買うなら丹野さんから」という顧客を400名近く抱えるトップセールスマンとして活躍していた。
「最初はストレスかな?」と考えていたと話す、ネッツトヨタ仙台株式会社の丹野智文さん
「最初はストレスかな?」と考えていたと話す、ネッツトヨタ仙台株式会社の丹野智文さん

かすかな異変を感じたのは34歳のとき。徐々に物忘れが多くなった。最初は忙しさからくる異変を疑い、パソコンのディスプレイにメモした付箋を付けるのが当たり前になった。そのうち、その数が増え過ぎ、ノートに変えた。それも次第に大きくなっていた。

「メモで“佐藤さんにTEL”と書いても、どこの佐藤さんにどんな内容で電話するか忘れるので、“仙台市青葉区の佐藤さんにタイヤ交換の件でTEL”と、だんだん書く内容が細かく、量も多くなってきたんです。それでもふつうに仕事はできていました」

しかし、徐々に、人の顔を忘れてしまうようになる。後輩に接客を命じたら自分の顧客だったり、ショールームで待つ人のうち、誰が自分の顧客なのかわからない。「忙しくなってきたからストレスのせいだろう」。まだ軽く考えていた。だが、同僚の顔がわからなくなった2012年12月25日、ついに「おかしい」と脳神経外科を受診した。

脳神経疾患専門病院の物忘れ外来を紹介された。2週間の検査入院で若年性認知症が疑われ、大学病院に移転してさらに1カ月の検査入院。2013年4月、丹野さんは39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された。

「仕事は何でもあるから戻って来なさい」

大学病院に検査入院する際、会社から顧客をすべて後輩に渡すよう言われたとともに、そんな言葉をかけられた。

「会社としては“仕事のことは忘れてゆっくり入院してきなさい”という意味で言ってくれたのですが、営業マンがお客さんを渡したら、もう元の仕事には戻れません。小学生の子どもを2人抱えて、この先どうなるんだろう、クビになったら親の責任を果たせない、と目の前が真っ暗になりました」

不安で夜眠れないままスマートフォンで調べた「若年性認知症は進行が早く2年~10年で寝たきりになる」との情報がさらに不安を増幅した。医師に尋ねたら「今すぐにではないが将来寝たきりになる恐れはある」と告げられ、インターネットの情報と符合させて「2年後には寝たきり」と思い込んでしまった。

働かなければいけない理由と、働くからこその責任

丹野さんは奥さんとともに社長に病状を説明した。

何としてでも働き続けなければという思いで、「洗車でもいいから働かせてください」。そう頼むつもりだった。

社長は「体が動くなら仕事は何でもある。総務人事グループに戻ってきなさい。長く働ける環境を用意するから」と言ってくれた。丹野さんはホッと胸をなでおろした。
丹野さん
「人を大切にする会社なんです。社員が病気になっても戻ってこれるなら誰でも戻らせる、というのが社長の考え方。だから私が特別ではありません」

丹野さんは現在、出勤簿のチェックや退職金の計算など、総務人事の日常業務に携わり、給与体系も通常と変わらない。特別扱いされたくなかったので当初は勤務時間も平常どおりだったが、脳を活性化する薬の副作用で夕方になると疲労が激しくミスも多くなり、周囲の勧めもあって1時間だけ短縮している。

顧客は後輩に渡したが、営業ノウハウを伝授する役割を果たした。後輩の接客中に助け舟を出し、成約に至ったこともある。後輩にとっては優れた手腕を実地で学ぶ貴重な機会となり、丹野さんにとってはやりがいのある仕事だった。

丹野さんは「認知症でもふつうの仕事ができることを認めてもらおう」と、自ら仕事のやり方を工夫している。常に1冊のノートを用意。1冊には、PCやプリンターの操作法から、ファイルをどの棚から取り出すか、などの細かいことまで仕事の段取りを克明に記してある。もう1冊には仕事の予定を書いている。終わったら○をつけ、聞いたことや書類の提出日などすべて備忘録として記入している。

「その2冊のノートを見れば仕事に支障はありません。ただ、人の顔を忘れるのはどうしようもないので、同僚に聞くようにしています」

認知症の人が何に困っているのか周囲はきちんと理解できないこともある。そのため、「自分でやれることは自分でやり、どうしてもできないことは隠さず助けてもらう」ことが大切になる。そこを丹野さんの言う「当事者自身の偏見」が邪魔してしまうと、周りからも認知症という事実が見えなくなり、その困りごとが明るみに出ない。
丹野さんが利用しているパスケースには、乗車駅と降車駅がしっかり記載されていた
丹野さんが利用しているパスケースには、乗車駅と降車駅がしっかり記載されていた

ときおり会社の最寄り駅を忘れるという丹野さんは、認知症であることと降りる駅名や会社の住所を書いた自作のパスを携帯し、困ったときは乗客に見せて助けてもらう。「いざとなったらタクシーで出勤して、“重役出勤だよ!”と言って同僚に伝えるんです」と笑う。

元気で明るい当事者との出会いで生まれた希望

認知症について知りたいと思うなか、丹野さんは自ら認知症の家族の会の門をたたいた。そして、その家族会で出会った、ある当事者のおかげで丹野さんは変わったという。

「みなさん私の親と同じ年齢で、私を自分の子どものように接してくれて、楽しく参加するようになりました。あるとき、広島から50代で発症した方が遊びに来ました。とにかく明るくて元気なんですよ。聞けば診断から6年経っていると。え?“2年で寝たきり”って何だったんだろうって。ネットの情報を鵜呑みにしちゃいけない。自分もその人のようになりたいと思って、どんどん前向きになれたんです」

その人も診断から1年半は絶望して家に引きこもっていたが、中学・高校時代の部活動の友人が変わらず接してくれたおかげで前向きになれた、という。

家族の会の活動を手伝うようになり、「宮城の認知症をともに考える会」からも講演を依頼された。当事者との出会いで元気になったことを話すと「ぜひそのことを他の当事者にも伝えてほしい」と同会の医師に促された。

前向きになるための入り口「おれんじドア」

丹野さんは2015年5月から認知症の当事者が当事者と対話する相談窓口「おれんじドア」の活動に携わり、実行委員会代表として活動している。
「おれんじドア」は思いを共有する場としてカフェ形式の相談会を月1回開催している(開催場所の東北福祉大のカフェ) 提供:おれんじドア実行委員会 丹野智文さん
「おれんじドア」は思いを共有する場としてカフェ形式の相談会を月1回開催している(開催場所の東北福祉大のカフェ) 提供:おれんじドア実行委員会 丹野智文さん

「私と話して、“認知症でもこんなに笑って明るく生活できるんだ”と思ってくれたら嬉しいですね。私もそうだったように」

おれんじドアは認知症当事者の「居場所ではない」と丹野さん。「最初の一歩を踏み出すためのドアなんです」。そのためには周囲の理解や支援も必要だが「まず何よりも当事者自身の偏見をなくさなければ」と丹野さんは強調する。

「認知症は100人いたら症状も全部違うのに、マスメディアは認知症になると『暴れる』とか『徘徊する』とかステレオタイプの報道をする。それもあって、当事者と家族は“隠さないと変な目で見られる”と思ってしまうんですよ。でも、自分のなかでの偏見がなくなれば、公表してもまったく問題ないし、少々変なことを言われても、この人は認知症のことをわかってないんだな、と突っぱねる力が出ます」

丹野さんの講演には、営業マン時代に友だちづきあいをしていた顧客が何人も顔を出し、応援してくれる。同窓会で「みんなの顔を忘れちゃうかもよ」と冗談めかしたら「大丈夫さ、オレたちが覚えてるから」と言ってくれた。

認知症とともに生きる社会を先導するイノベーター

認知症は決して絶望する病気ではない。認知症になってもできることはたくさんある。おれんじドアで丹野さんと話してから、当事者の表情は目に見えて明るくなる。丹野さんは最初、家族を交えず本人とだけ話をする。本人に聞いているのに家族が答えてしまうことが多いからだ。家族も本人も、まともに喋れないと思い込んでいる。そんなことはない。
丹野さんは「この後も先輩たちと飲みに行くんですよ」と楽しそうに話してくれた
丹野さんは「この後も先輩たちと飲みに行くんですよ」と楽しそうに話してくれた

丹野さんと話すと「今日は喋りすぎちゃった」と笑って帰る当事者も多いという。機会がなかっただけなのだ。

リハビリと称して計算ドリルなどをやらせたり、脳に良いからと機能性食品などを食べさせたりすることにも丹野さんは疑問を呈する。

「つまらないことを我慢してやるより、好きなことをしたり、好きなものを食べたほうがいいんですよ。テニスが好きという人がいたので“体も頭も使うし仲間とも触れ合えるし、最高のリハビリじゃないですか!”と勧めました」

厚生労働省が策定した「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」によると、高齢者の4人に1人が認知症またはその予備軍であり、その数は今後さらに増えると予測されている。同プランは「認知症の人を単に支えられる側と考えられるのではなく(中略)認知症の人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で自分らしく暮らし続けることができる社会の実現」を目指している。
厚生労働省による認知症の患者数の推移(出典:厚生労働省)
厚生労働省による認知症の患者数の推移(出典:厚生労働省)

おれんじドアのような、認知症の当事者が当事者の相談を受ける取り組みは今までに例がない。丹野さんはメディアに多く登場し、安倍晋三首相とも対談した。本人と家族と社会にある、認知症への誤解と不安を解消し、認知症でも明るく元気に生きられることを身をもって示し続ける丹野さんは、まさしく“認知症とともに生きる社会”を先導するソーシャルイノベーターに違いない。

後編では、丹野さんも「すばらしい取り組み」と話す、若年性認知症の人たちの就労支援を通じて“認知症になっても安心なまちづくり”を目指すNPO法人「町田市つながりの開DAYS BLG!」代表の前田隆行さんに話を聞く。

認知症の「2年の空白期間」を埋める存在へ──認知症と向き合う働き方とは(後編)へ続く


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