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「正しい走り方」は運動不足を救う教養である──彼末⼀之さんインタビュー

2018年03月19日



「正しい走り方」は運動不足を救う教養である──彼末⼀之さんインタビュー | あしたのコミュニティーラボ
「9.8%」これは、厚生労働省が発表(*)した30代の女性で運動習慣のある人の割合だ。30代男性でも18.4%と、いずれも働き盛りの年代では低い数字になっている。アスリートに限らず、生活者が継続してスポーツに取り組むことが心身の健康増進に寄与することは広く知られているものの、運動の習慣がある人の割合は低いのが現状。このギャップを埋めるためにはどんなアプローチが有効なのだろうか。早稲⽥⼤学スポーツ科学部 教授・彼末⼀之さんは、スポーツ生理学・スポーツ神経学の観点から「理想的な身体の動かし方」を日夜研究している。なかでも最近注力しているのが「速く、正しく走れるようになるフォーム」の解明だ。一連の研究は世のなかの「運動不足」を解消する可能性を持ち得るのだろうか。彼末さんの研究室でお話をうかがった。(*)「平成 28 年国民健康・栄養調査結果の概要」より 

一流のプレイヤーを研究し、「普通の状態」を解き明かす

──彼末先生はスポーツを通じた生体機能の研究をされています。現在のご専門に至ったきっかけについて教えてください。

もともと大学入学前から陸上競技やスキーなど、プレイヤーとしてスポーツに憧れがありました。1975年に東京工業大学工学部に入学後、教養課程で講義をされていた体育の先生が東京教育大学(現・筑波大学)でスポーツバイオメカニクス(編集部注:身体運動を力学的に研究する学問)の研究をされている方だったという縁で、その先生のお手伝いをするようになり、自分もそのような分野で研究をしてみたいと思うようになりました。

しかし、大学院は大阪大学工学部へ進み、筋肉の研究を行っていました。79年に、縁あって大阪大学医学部の故・中山昭雄教授の生理学教室に助手として赴任し、体温調整の解析などに従事しました。

──再びスポーツというテーマに出合われるのはいつ頃のことでしょうか?

阪大の研究員・教授だった頃から「いつかはスポーツの研究をしたい」と事あるごとにアピールしてきた甲斐があったのか、早稲田大学に新設された「スポーツ科学部」からのお誘いがあり、2003年4月にこちらへ移りました。

彼末一之さん
早稲田大学スポーツ科学学術院スポーツ科学部教授の彼末一之さん

──早稲田大学では2003年にスポーツ科学部を、2006年には大学院スポーツ科学研究科、スポーツ科学研究センターを創設。現在はこれらを束ねるようなかたちで「スポーツ科学学術院」が機能しており、彼末先生はここで「スポーツ生理学」「スポーツ神経科学」をご専門にされています。これらはどんな研究なのでしょうか?

純粋な生理学・神経科学は、基本的に「医学」へリンクしています。医学の大きな目的の1つは病気を治すこと。すなわち生理学・神経科学は、病気・疾患という「マイナス」の状態をいかにプラスマイナスゼロの状態にするのかが1つの目的です。一方、スポーツ生理学・スポーツ神経科学というのは、一流のスポーツプレイヤーが研究対象です。いわば「プラス」の方向に外れた存在である彼らを研究することで「普通の状態」がどういうものなのかを探っています。

イメージトレーニングで筋肉が動く?

──具体的にはどのような研究をしているのですか?

たとえば、磁場の変化を利用した経頭蓋磁気刺激(TMS)を皮膚のうえから大脳の運動野(編集部注:大脳皮質の一部。脳幹と脊髄の運動神経細胞に神経信号を送って運動を起こさせる)にあて、それによって誘発される筋肉収縮(運動誘発電位、MEP)を調べるという実験があります。

平たく言えば、神経活動を計測し「筋電図(編集部注:筋肉の活動電位を波形で記録したもの)」を手がかりに、頭のなかで思い描いた「イメージ」が神経生理学的に身体に対してどのような反応を及ぼすのか──そんなことがわかる実験です。

彼末一之さん
経頭蓋磁気刺激(TMS)で大脳の運動野を刺激し、それによって誘発される筋肉収縮を調べる実験の様子。刺激された運動野に対応した筋肉が収縮する

──それで何がわかるのでしょうか。

一般の方で「宙返り」をできる人は少ない。さらに「自分がバク転をしていることを、イメージできるか」と問うても、おそらくできない人が多いことでしょう。しかしその方に「その場でジャンプする」という簡単な運動をイメージしてもらうと、(実際に筋肉がはたらくことはありませんが)頭のなかでは筋肉収縮のプログラムがはたらくことがわかります。すなわち、実際にその運動をやっていなくても、イメージすることで運動したのと同じような反応が脳では起こっているというわけです。

これが「宙返り」だと一般の方では脳は活動しません。それは、どうしてよいかわからないからです。対して、体操競技の熟練者に「宙返り」をイメージしてもらうと脳は実際に宙返りするときに同じようにはたらきます。すなわち、できない動作はイメージできない、ということであり、イメージトレーニングの一定の有効性が解明できるというわけです。


柔道のイメージトレーニングによる筋肉の反応を調べる実験の様子

スポーツ生理学・スポーツ神経科学が「指導」を変える

──彼末先生の一連のご研究が目指すものは何ですか?

われわれの研究は主に熟練したスポーツプレイヤーが対象です。解明したいことを平たく言えば「彼らがなぜあんなにうまくできるのか」ということ。

研究のモチベーションは純粋な好奇心が大きいです。実際に何に役立つのかという問いお答えするならば、私たちの研究結果は強い選手を育てるための「コーチング」に活かしていけると考えています。これまで一般的な競技指導は「経験則」に基づいてのコーチングだったのに対し、研究結果を活用することで「エビデンス」に基づいたコーチングが可能になるでしょう。

──一般の生活者に対してはいかがでしょうか?

そもそも人はなぜスポーツをするのでしょうか。人は本能的に「快」と感じるものには近づき、「不快」と感じるものからは遠ざかる特性を持ちます。だから本来的には「しんどい」と感じるスポーツは「不快」な存在であるはずです。実際に現代人は、テレビゲームやスマホなどの「快楽」があるぶん、スポーツを敬遠しがちといえるかも知れません。

彼末一之さん
「快楽に近づき、不快から遠ざかる人間の特性をスポーツに利用するためのキーワードは『継続』と『上達』」と語る彼末さん

では、どうすれば現代人にスポーツを快楽の対象と考えてもらえるのか。多くの人が体育の授業や部活動などで何かしらのスポーツを体験したことがあるでしょう。

たとえば野球なら、最初のうちはキャッチボールをしたりバッティングをしたりしているだけで楽しい。でも途中で何かしらの壁にぶち当たり、競技に「継続」して携わることを諦めてしまう。

だから大人になってから競技を続けている人は少ないですし、なかには過去に何かしらの競技がうまくいかなかった体験をもって「自分は運動神経が悪いから」と落胆し、スポーツ自体を敬遠する人も多い。そこで「上達」というキーワードが出てきます。人は「上達」することでスポーツに楽しみを見いだし、「継続」してのめりこんでいくのです。

また、野球にしても他の競技にしても、上手になるための「正しい動き」は基本的に1つ。野球のピッチングフォームなら、速く投げることのできるフォームも1つであり、その正しい動きから外れる──たとえば、肘が下がる、手首の動きが悪い──と、いい球が投げられなくなり、多くのピッチャーはそれで挫折します。

ここで強調したいのは、スポーツは独学でやると、その「正しい動き」から外れてしまう可能性がとても高いということ。正しい動きを保つために「正しい動きを理解している指導者」──すなわちコーチング──がとても重要なのです。

スポーツ継続の出発点は「速く走れる子ども」を増やすこと

──ほかにはどのような競技をご研究の対象にされているのですか?

競技のジャンルは問いません。最近特に力を入れているのは、子どもを対象とした「速く走れるようになるフォーム」です。小学校の運動会で徒競走でもすれば必ずビリになる子が出てきて、親も「これは生まれつきのものだ」「運動神経がないからだ」なんて落胆する。「それは本当に持って生まれたものが原因なのかな」という疑問が、研究の出発点になりました。


彼末研究室の学生は、ほとんどがスポーツの競技者。左から田上幸司さん(陸上)、藤井啓史さん(バドミントン)、鄭妍さん、右から後藤悠太さん(陸上)、小澤悠さん(バレーボール、バイオリン)、戚維璜さん(バスケットボール、ドラム)

研究では、陸上選手が走るときの特性をセンサー等で分析し、その特性をコーチングで教えられる状態にしようとしています。理想は一歩ごとにロスの少ない走り方。これには、姿勢や足の踏み出し方などが相関しています。制度的な問題もありますが、小学校で先生がたが子どもに走り方の指導をできるようになるのが、この研究の目指すところです。まだ一部の小学校で実証実験的に行ったものであり、フィールドはさらに拡大していきたいと考えています。

実はこの研究に関しては、正しい走り方のフォームを身につける”self-learning”(自己学習)ができるウェアラブル機器の実現に向けて動きだしています。富士通ソーシアルサイエンスラボラトリ(富士通SSL)のお力添えをいただきながら、実験データ解析やアルゴリズム抽出のICT基盤づくりも進めているところです。

──それらの研究成果があらゆるスポーツ指導に実装されることは、社会的に見ても大きな意味があるように思います。

そうですね。「這えば立て立てば歩めの親心」ということわざ(編集部注:子どもがハイハイするようになれば早く立たないかと期待し、立つようになれば早く歩かないかと期待する、そんな子どもの成長に一喜一憂する親心を意味したことわざ)があります。実際はそのあとに「歩めば走れ」があるわけです。

そのくらい、走ることは多くの人にとってスポーツの原体験となっています。しかし走ることは、スポーツ嫌いの子どもに人生ではじめて「劣等感」を植え付ける原因にもなり得ます。走り方の指導環境を整えることは、子どものスポーツ離れを食い止めることにもつながるはずです。

さらにいえば、「正しい走り方」はあらゆるスポーツの起点になります。子どもの段階で正しい走り方を身につけていけば、プロ、アマチュア問わず、日本のスポーツの底上げにもつながる。実際、プロのスポーツ選手を見ていても、ひどい走り方の人がけっこういます(笑)。

スポーツを実際にやってみれば気持ちがいいし、最近の研究から、筋肉を伸縮させることで体内にホルモンを分泌させるということもわかっています。子どもが学校で勉強をして教養を身につけていくのと同様のプロセスで、人がスポーツとの関わりを継続させて健康に暮らす。そのためのコーチ養成・環境づくりが、われわれの最重要課題であると考えています。

彼末一之さん

彼末一之(かのすえ・かずゆき)

早稲田大学スポーツ科学部教授。1975年東京工業大学卒業。1979年より大阪大学医学部助手、1988年より同大学助教授、1996年より同大学教授 。2003年より現職 。専門は、スポーツ神経科学、スポーツ生理学、システム生理学。「身体の動かし方」をテーマに、スポーツや楽器演奏などを対象として研究を行なっている。著書に『やさしい生理学』(共著)など。


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