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松江に行けば優秀なエンジニアに出会える
——Ruby City MATSUE Project

2013年05月09日



松江に行けば優秀なエンジニアに出会える<br />——Ruby City MATSUE Project | あしたのコミュニティーラボ
宍道湖に沈む夕陽が美しく、古い街並をめぐる堀川遊覧船も風情たおやかな松江市。初めて人口が減少に転じた2006年、この町はまったく前例のない、アッと驚く手法で元気を取り戻そうと考えた。それは人々を巻き込んでじわじわと実を結び、新たなまちづくりにつながりつつある。

中学生が4時間で未知の感動を味わう

JR山陰本線松江駅前のビルに「松江オープンソースラボ」というスペースがある。ここで夏休みに、島根県松江市内の中学生を対象にして、プログラミング言語「Ruby(ルビー)」を学ぶ「中学生Ruby教室」が開かれている。

「中学生Ruby教室」の様子

松江市が2006 年から取り組む、Rubyを地域資源とした「Ruby City MATSUE Project」の一環のイベントだ。希望者15人が参加するが、もちろんコンピュータのプログラムの経験がある子など、ほとんどいない。

2012年の改訂で、中学校「技術・家庭」の指導要領に「コンピュータを利用した計測・制御の基本的な仕組みを知ること」「情報処理の手順を考え、簡単なプログラムが作成できること」が新たに盛り込まれた。どうやら、以前から松江市は、Rubyというプログラミング言語でまちおこしをしているらしい。

そうしたことに関心のある親から「行きなさい」と言われて参加しているのが、およそ半数の子どもたち。

「なので、そういう子たちは、最初は正直、乗り気じゃないんですよ。でも終わったときには、目がキラキラ輝いています。自分で苦労してプログラムをキーボードに打ち込んだ結果、目の前でソフトが動くのがすごくおもしろいようです。たった4時間で未知の感動が味わえる。それがRubyの強みですね」

そう話すのは、講師を務めている高尾宏治さん。地元のIT企業、株式会社ネットワーク応用通信研究所のエンジニアだ。

「中学生Ruby教室」の講師を務める高尾宏治さん

5年間で約200名の中学生が参加した。Ruby教室をきっかけにプログラミングのおもしろさに目覚め、その道をめざす子どもも。「それが何より嬉しい」と高尾さんは言う。市立中学校でも、松江高専の学生をアシスタントとして実験的にRuby授業を実施したところ、大半の生徒が楽しんで興味をもった。

Rubyの生みの親は、松江市在住のまつもとゆきひろさん。“Matz”の愛称で知られる、世界的にも著名なITエンジニアだ。今年度から発足した、安倍内閣IT戦略本部の有識者本部員にも選ばれている。日本人が開発したオープンソース言語で、Rubyほど世界で広く使われているものはない。

開発者にフレンドリーなプログラミング言語

子どもは正直だ。高尾さんが言うように、中学生もすんなり入り込めるところにRubyの特長がある。従来の言語より記述が簡単なため、少人数・短期間で効率的にソフトを開発することができ、プログラミングの生産性が高い。

コードが簡潔なので、すばやいシステム構築やメンテナンスが容易に行えるといったメリットがある
(提供:松江市産業経済部産業振興課産業支援係)

「自分のイメージしたものを手に入れるプログラミングって、もともと楽しい作業なんですよ。ところが、その手順の中に、コンピュータの都合で、コンピュータのためにやらなければならない作業がたくさんある。だからRubyは、あらかじめコンピュータのほうに知恵をつけて、コンピュータの都合ではなく、できるだけ人間の都合に合わせてプログラムが書けるように設計したんです」

まつもとさんは、そう解説してくれた。プログラミングの煩雑な要素をできるだけ取り除いて、プログラマーのストレスをやわらげ、本来の楽しさを取り戻したい。それがRubyの開発動機だった。


Rubyは、ほかの既存のプログラミング言語に比べて学びやすいと言われている
(出典: http://img279.imageshack.us/img279/7933/556328734c0eba44ec2bw.jpg)

ウェブでオープンソースとして無償公開した1995年当時は、小規模なソフトにしか使えないとの評価を受けた。人間の都合に合わせると、その代償として処理速度が遅くなる。Rubyは裏側でコンピュータにたくさん仕事をさせるので、同じ作業を同時にスタートすると、コンピュータの都合に合わせて人間が仕事をするプログラミング言語のほうが速い。開発効率と生産性に重きを置けば、プログラムの動作速度と処理能力に支障をきたす、というわけだ。

だが、コンピュータの性能は飛躍的に向上し続けてきた。その結果、開発効率と生産性を重視しても処理速度にそれほど影響せず、ビジネスユースにも十分、対応できるようになっている。とりわけ、2004 年にデンマークのプログラマーがウェブサイトの構築に適したアプリケーションフレームワーク(基本的なプログラムの集合体)「Ruby on Rails」をリリースすると、オープンソースの特徴を発揮して、爆発的に広がっていった。今では「楽天市場」「クックパッド」「食べログ」など数多くの商用サイトがRubyを使ってシステムを構築しており、企業内の基幹システムにも応用されはじめている。

前例のない挑戦への熱意と勇気を応援したい

歴史的な町並みが残る松江城周辺。写真は松江歴史館と堀川遊覧船(提供:松江市)

2006 年の国勢調査で、松江市は初めて人口減少に転じた。県庁所在地の20万人都市だが、めぼしい大企業の立地もなく、どちらかといえば観光・サービス産業に頼っていた。新たな産業振興をしなければいけない。Ruby on RailsをきっかけにRubyが大きく注目を集めだした時期だ。オンリーワンである松江発のプログラミング言語を核に、人づくり・まちおこしをしてはどうか。

「Rubyといえば松江、と言われる町を目指そう、と。Rubyを入り口にして優秀なITエンジニアが育ち、企業の目を惹いて、雇用が生まれる。そうやって少しずつでも着実に持続可能な産業として根づけば、という考えでした」と語るのは、松江市役所で産業支援に従事する福田一斎さん。

松江市産業振興課の福田一斎さん

まつもとさんも、初めに市からその話をもちかけられたときは、正直「うまくいくのだろうか?」と首をひねったという。

「オープンソースであるRubyの開発は、ネットワークをベースに行われます。だからエンジニアがどこに住んでいようがあまり関係ないし、顔を合わせることも必須ではありません。そういうものを地域振興に使うのはピンとこない」

そう思った。「なんだけど……」と、まつもとさんはここで語気を強める。

「前例のないことはやらないはずのお役所の人が、2006年の時点でほかのどこもやっていないことを、すごく熱意を込めて語るわけですよ。その勇気に対して、応援しないといかんだろう、と思いました。オープンソースは参入障壁が低いので、小さなプレーヤーでも対等の勝負ができます。資本でも人員でも不利な地方の企業が、その不利をひっくり返すことができる素材ではあるんです」

Rubyを開発した、まつもとゆきひろさん

まつもとさんが最初に提案したのは、エンジニアたちが自主的に集まれる、ネットインフラやプロジェクターなどの設備が整った場所を設けること。それが松江駅前の「松江オープンソースラボ」で、ITやオープンソースに関する研究・開発・交流のためであれば無料で開放されている。今年度までの使用申請者数が約1万人。空いていれば申請なしでも自由に使える。エンジニアたちの集う場所として頻繁に活用されている「Ruby City MATSUE Project」の拠点だ。

松江駅前に開設されている「松江オープンソースラボ」

月に1回、10人前後のIT企業エンジニアが参加するRubyの勉強会がある。堅苦しいセミナー形式ではなく、それぞれ思い思いの課題や仕事に没頭しながら、互いに疑問を解決し知識を分かち合う「自由研究の場」のようなもの。会社組織の枠を超えたエンジニア同士の横のつながりができて、新しい技術をキャッチアップしたり、自分自身を高める機会になっている。こうしたコミュニティー活動こそが「Ruby City MATSUE Project」の核にほかならない。

対外的なイベントでは「オープンソースカンファレンス」や「松江オープンソース活用ビジネスプランコンテスト」など、人材育成では島根大学や松江高専で「Ruby プログラミング講座」などを定期的に実施してきた。各種のプログラミングコンテストで最優秀賞を獲得した学生が地元のIT企業に就職したり、東京大学に編入し企業と共同研究をしている。

松江市には優秀なITエンジニアがいると評判を呼び、2007年から2013年までにIT企業の新規立地は15社を数えた。2006年当時、市内雇用のエンジニア数は582人。それが2011年には882人になり、IT業界の売上は68億円から144億円に増えた。Rubyを利用したシステム開発件数も62件(08年)から159件(11年)へと順調に数を増やしている。県や国とも密接に連携した「Rubyで人づくり・まちおこし」は着実に実を結びつつあるようだ。

個人が立つオープンソースソフトウェアの可能性

まつもとさんは「僕が松江にいるのは、多くの人が期待している〈郷土愛〉なんかじゃなく、実家の米子に近いからでもないんです」と笑う。

1997年、オープンソースソフトウェア(OSS)を利用したソリューション事業をミッションに、井上浩代表取締役社長が松江市内にネットワーク応用通信研究所を設立した。「その時点で、OSSみたいなおもしろい話をする会社は全国探してもほとんどなかったので、ネット上で知り合いだった井上から話があった時、願ってもないと思った」という理由で参画し(現在もフェロー)、松江に移り住んだ。

「ネットワーク応用通信研究所」の代表取締役社長、井上浩さん

組織の都合によって我慢することが何より嫌いなまつもとさんにとって、その最たる象徴が「超苦痛な満員電車」。そんな苦しみを味わうことなく、自分のやりたいことが十二分にできる最適な環境が松江にあった、というわけだ。

ソースコードを公開して誰でも自由に利用できるようにし、利用者やほかの開発者からのフィードバックを取り入れながら進化し続けるのがOSS。

「OSSは端的にいうと〈個人が立つ〉んです。その結果、エンジニアのモチベーションとパワーが高まり、事業がしやすくなる。OSSは守秘義務があまりないので、会社をまたいだコミュニティーができ、それぞれ自分のスキルを生かした居場所を見つけやすく、それをまたみんなが認めてくれるため、満足度が高いんですね」と、井上さんは、組織より個人が引き立つOSSの意義を語る。

松江オープンソースラボで定期的にサロンやソフトの講習会を開催する「しまねOSS協議会」、Rubyの普及と発展を目指す「一般財団法人Rubyアソシエーション」(理事長:まつもと氏)といった活動にネットワーク応用通信研究所は深く関与して、OSSの開発と公開の支援を行っている。

「21世紀は組織に頼らず個人の腕で勝負できる市場が広がるはずで、その肝になるのがOSS。もはやITは産業に欠かせないインフラですから、RubyをはじめとするOSSを軸に地域が元気になることによって、あらゆる産業の活性化につながると思います」と、井上さんは力強く将来を見据えた。

こんなチャレンジないですよ、やってみませんか?

2010年、島根県は「Rubyの特徴を生かし、顧客ニーズを素早く的確に捉える、顧客満足度の高いソフトウェア開発手法」をつまびらかにする「Rubyビジネスモデル研究実証事業 」を行った。こうした開発手法は、アジャイル(俊敏な)ソフトウェア開発と総称される一連の手法群で、「プロセスやツールよりも個人と相互作用」「計画の順守よりも変化への対応」など、どうしたら顧客満足度の高いソフトウェアを開発できるかという価値観や考え方を表明したものだ。

県内メーカーの製造現場で使われるシステムをRubyでつくるという研究事業に取り組んだ株式会社テクノプロジェクトの鶴原隆一さんは、報告書を作成するにあたり、Rubyの持っている設計思想や周辺のツール群が、アジャイルソフトウェア開発ときわめて親和性が高いことを確信し、大きな可能性を感じた。

そこで2011年、アジャイルを学ぶコミュニティー「Agile Shimane」を立ち上げ、松江オープンソースラボで読書会や講演会などの活動を続けている。

「アジャイル啓蒙を一つの手段として、地域の経済に役立ちたい。ITの力を使って競争力を伸ばしたり、アジャイルの価値観や考え方を活用して組織力を強化するなど、さまざまな経営課題の解決に寄与することが最終目的です」と鶴原さん。

こうして、Rubyを入り口にした人づくり・まちおこしは、高い価値を顧客に提供するためのソフトウェア開発のみならず、経営課題のソリューションといったビジネスゾーンの高度な領域に踏み込み、深まりつつある。

鶴原さんは東京からのUターン組。外資系ソフトウェア会社に勤務していたが、29歳のとき「何のために働いているのか」を自問自答するようになった。結婚式を故郷で挙げ、東京から来た友人が「松江っていいところだね」とほめてくれた。「地元を大事にしなきゃいけない。地元のために働こう」と思った。

「Agile Shimane」の代表、鶴原隆一さん

「東京は大好きだし、疲れて帰ってきたわけじゃないんです。日本の課題の縮図のような島根で働くのは、けっこうチャレンジングなことだと思っていて……。厳しいけど、こんなチャレンジないですよ、やってみませんか? と言いたいですね。そういう人たちが増えたら、もっとエキサイティングになるんじゃないかな」

行政も民間も、熱意と勇気で挑戦すれば「できない」はない。熱意と勇気を支え持続させるのは、横につながるコミュニティー。Rubyの町・松江を盛り上げる多彩な人たちに共通する元気の良さは、明らかにそこからきている。

Ruby City MATSUE Project
http://www1.city.matsue.shimane.jp/sangyoushinkou/ruby/rubycity/rubycity.html
ネットワーク応用通信研究所 http://www.netlab.jp/
Agile Shimane http://agileshimane.tumblr.com/


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