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面倒くさいことを楽しむ? 新旧市民の共創による「クリエイティブな自治区」
──MAD City(千葉県松戸市)

2013年05月23日



面倒くさいことを楽しむ? 新旧市民の共創による「クリエイティブな自治区」<br />──MAD City(千葉県松戸市) | あしたのコミュニティーラボ
コンビニの商圏と同じ、半径500メートルの「クリエイティブな自治区」をつくってしまおう――そんな試みが、千葉県松戸市ではじまっている。貸家を自分で改装し、近所づきあいを大切にする。地域活動に熱心で、地元をリスペクト。アーティストやクリエイターが惹きつけられる「MAD City」って、いったい何だ!?

“千葉都民”が地域につながる「酔いどれ祭り」

松戸駅西口から徒歩1分の商店街は、2カ月ごとに「高砂通り酔いどれ祭り」で盛り上がる。飲み屋街の路上が、一夜限りの大宴会場と化すイベントだ。

主催する「松戸まちづくり会議」の、「酔いどれ祭り」に関わる中核メンバーのミーティングが、高砂通りの喫茶店で行われていた。

「松戸まちづくり会議」のミーティングの様子
(左奥から林希一さん、八嶋正典さん。手前は株式会社まちづクリエイティブの星麻里子さんと寺井元一さん)

「前回の第4回は、松戸の外から人が来る印象が強かったんですよ」

そう語るのは、事務局長を務める寺井元一さん。3年前から松戸で、不動産とコミュニティーデザインを結びつけた事業を手がけている。

「その前は地元の人が多くて、“このイベントはもう押さえたからいいや”みたいな感じだったよね」

ちょうちんと祭礼用品の店を営む八嶋正典さんが言う。

「ってことは、1回休んで、今度はまた来るんじゃないの?」

不動産会社を経営する林希一さんは、商店会の会長だ。

松戸駅西口から見る現在の松戸市街 (提供:株式会社まちづクリエイティブ)

松戸は、東京駅まで30分のベッドタウン。水戸街道の宿場町として栄えた歴史のある町だが、今では雑居ビルやマンションが建ち並ぶ。千葉県内に住みながら東京に通勤する、いわゆる“千葉都民”たちは地元意識が薄く、昔から地域に根づいて商売をしている人たちに比べると、地域活動への関心は低い。東京近郊の地方都市ではよくあることだ。

ただ、松戸まちづくり会議には、19の町内会・自治会を横断して多種多様な人たちが参画している。メンバーにはマンション住民も少なくない。その人たちに、自分のマンションにポスティングして告知してもらってはどうか。

話し合っているうちに、「高砂通り酔いどれ祭りを、“純然たる千葉都民”が地域につながる日にしたい」との方向性がだんだんハッキリしてきた。

「参加者はTwitterでけっこうつぶやいているので、拡散できるといいかも。Facebookのほうが実名性が高いので近隣に寄れるかな」(寺井さん)

「オフ会の場に利用してもらうってのはどう?」(八嶋さん)

「予約席みたいにしてFacebook席をつくっちゃえばいいんじゃない?」(林さん)

松戸まちづくり会議では、酔いどれ祭り以外にも、さまざまな地域イベントを実施している。「不審者の視点から防犯を考える」をテーマにした防犯マップの作成や、子どもたちを対象にしたワークショップなど、これまで地域活動に縁の薄かった子育て世代の女性を中心にコミュニティーが形成されている「どろぼう学校準備室」。地域在住のカップルの結婚式を河川敷で挙げる「江戸川アウトドアウェディング」。地元の人たちが編集・制作する地域内広報誌「松戸まちづくり瓦版」。震災復興の外壁改修工事に合わせてビルオーナーと改修事業者、地域在住のアーティストがコラボレートし、壁画を2つのビルで制作した「大多福壁画」と「シノダビル壁画」。

「江戸川アウトドアウェディング」(左)と、「どろぼう学校」(右)
(提供:いずれも松戸まちづくり会議)

こうした地域イベントのアイデアを中心になって提供しているのは、地元に住むアーティストやクリエイター。この人たちのなかには、松戸駅周辺の半径500メートル圏内を「MAD City」と呼んで“クリエイティブな自治区”を目指そうとする寺井さんの新しいまちづくりに共感し、松戸に移り住んできた人がたくさんいる。

不動産事業をベースにした、クリエイターが集まるまちづくり

「最初に掲げたのは“脱東京”なんです」と寺井さんは言う。

渋谷を拠点に、アートとスポーツの分野で、行政のイベントや企業のCSRの取り組みを応援するNPO法人の活動をしていた寺井さんは、公園などの公共空間を使う仕事が、東京ではどんどんやりにくくなっているのを感じた。

「MAD City」を推進する株式会社まちづクリエイティブ代表取締役の寺井元一さん

「端的な例を挙げれば、都内では近隣住民の苦情で河川敷でのバーベキューが禁止になったり、公園の噴水が止まったり。どちらも“音がうるさいから”といった理由です。運動会のピストルでさえ、都内の小学校ではほぼ消えていると聞いたことがあります。家の騒音も、警察に通報するか、さもなくばいきなり怒鳴り込む。ふだんから隣近所のコミュニケーションがあれば、そうはならないはずなのに。“こういう殺伐とした生活空間にはいたくない”という思いが強くなっていったんですね」

と同時に、知人のアーティストやデザイナーが続々と都心を脱出し、外房や逗子や鎌倉などに移転しはじめたことも、寺井さんの“東京離れ”を後押しした。独立など、仕事上の転機をきっかけに、東京では得られない楽しさと豊かさを求めて、海や山が近い環境に移り住む。メールやSkypeなどのICTを活用すれば、東京でなくても仕事はできる。そんな人たちが増えてきたのだという。

不動産事業をベースにして、クリエイターが集まる町をつくりたい。そう考えた寺井さんは、たまたまコンサルタントの友人がまちづくりに関わっていた関係で松戸の人たちと知り合う機会があり、この町に魅かれた。

「町の人たちのモチベーションの度合いが、もっとも大切です。東京では、商店街の空き物件を活用しようとしても、いざとなればチェーン店に貸せるので地主さんがあまり困っていなかったりする。かといって、“もはや何をやっても活気を取り戻せない”と諦めているような地方都市によそ者が入っていくのも難しい。“このままではいけない、何かしなければ”というやる気があって、決して諦めていない──松戸の皆さんは、すごく良いモチベーションを持っていらっしゃるなと思ったんです」

欧米では、アーティストやクリエイターを町に呼び込むことで地域活性化をはかる「クリエイティブシティ」の試みが知られている。日本にも、それを標榜する自治体はある。だが、寺井さんによれば、欧米で自然発生的にできあがったクリエイティブシティには、実のところ「不法占拠」からはじまったケースが少なくないという。つまり、ゴーストタウンにアーティストやゲイのグループが勝手に住み着いて、人の輪が広がり、コミュニティーが再生し、町が復活した。

行政がトップダウンで旗を降るのではなく、住民の意思からはじまるボトムアップのまちづくりを、行政区と別の小さな単位で「合法的に」できないか。そうやって、失われつつあるコミュニティーを取り戻し、活気がよみがえれば——それが寺井さんのビジョンだった。

7割近くの人が「この町はムリ!」と思うような市民憲章を

寺井さんは、2009年6月から松戸に通いはじめ、物件をリサーチした。長いこと空き家や空室だったにもかかわらず、オーナーに売却の意思はなく、さりとて賃貸にまわすためのリフォーム費をかけたくもないという、不動産屋が取り扱いようのない放置物件。それをオーナーと交渉して借り上げ、DIYでリフォームする意思のあるアーティストやクリエイターに転貸する。こうして人を呼び込み、「クリエイティブな自治区」のベースを築こうという計画だ。

「放置物件を徹底的に洗いまくりました。町を歩いては、しらみつぶしに空き家や空き店舗を探して地図にマッピング。これはと思った物件については、地元の人たちにオーナーが誰なのか尋ねてまわる――そんな泥臭い作業ですよ」

そうこうしているうちに、地元のNPO法人からイベントの企画とプロデュースの仕事を依頼された。それまで駅前のマクドナルドを拠点に作業をしていた寺井さんだが、出勤場所ができた。バイパスの壁面にアートを描く事業を成功させたのをきっかけに、松戸市のアートイベント企画に関わるようになる。茨城県取手市に東京芸術大学のキャンパスができた関係で、常磐線沿線の主要都市はアート関係のプロジェクトでまちおこしをしていたが、松戸市は出遅れていて、寺井さんも携わることになったのだ。寺井さんの構想には追い風だった。

アートイベント参画のきっかけとなったバイパスの壁面アート
(提供:株式会社まちづクリエイティブ)

それはNPO法人の一職員としての仕事だったが、不動産をベースにしたコミュニティーデザインの事業を本格的に展開するため、2010年5月に株式会社まちづクリエイティブを起業。祭りの時だけ使う神酒所(神輿が待機する場所)を自治会長のオーナーから借り受け、拠点とした。そこから半径500メートル、ちょうどコンビニの商圏くらいの駅近の一画を「MAD City」と名付け、アーティストやクリエイターによる創造的なコミュニティーづくりをはじめた。

MAD Cityが掲げるビジョンは次のとおり。

コミュニティーのビジョン

●クリエイティブな自治区をつくろう。
●刺激的ないかした隣人をもとう。
●地元をリスペクトし、コラボを楽しもう。
●変化を生み出そう。新しいルールを発明しよう。
●仕事場も住居も、DIY精神で自由に創造しよう。
●河辺でも通りでも駅前でも、街を遊びつくそう。
●東京のみならず、世界とどんどんつながろう。

いうなれば、これは独自の「市民憲章」。オブラートに包んだ表現ではあるが、よく見ると、住民としてはかなり厄介なことを要求されているのがわかる。何でも自分で工夫してつくり、隣近所とつきあい、地元を尊敬し、地域の活動に進んで参加する。要は、「そんな人なら来てほしい」と言っているのだ。

「市民憲章ってたいてい美辞麗句が多いから、それを見て“この町はイヤだな”と思う人はいない。そうじゃなくて、7割くらいの人が“この町はムリ”と思うようなビジョンをつくらなきゃダメだと考えたんです。面倒くさそうな町でしょ(笑)。でも、面倒くさいことを楽しめる人たちに集まってほしい。だから物件の相談を受ける時には、前もってこのビジョンを提示しています」

世代は違えど、町に対する思いはズレていない

面倒くさいことを楽しめる人は少なくなかった。現在の取り扱い物件は、転貸と賃貸を合わせて70近い。現代美術家からデザイナーや建築家まで、多くの若いアーティストやクリエイターが東京から移転して、「MAD City」に住居、アトリエ、工房を構えるようになった。生活と仕事と町が地続きで、自発的にクリエイトすることに楽しみを見出だす人が増えているのかもしれない。


空き家となっていた家屋も、アトリエとして蘇った
(提供:株式会社まちづクリエイティブ)

松戸市の人口は48万人。市制が施行された1943(昭和18)年当時は4万人で、奇しくもMAD Cityの圏内人口と同じだ。しかも、江戸川の舟運と水戸街道の陸運の要衝として賑わったかつての松戸宿というのは、現在のMAD Cityのエリアにほぼ重なっており、代々住み着いている住民も少なくない。

もしかすると、この地に愛着をもつ古参の人たちは、寺井さんたちのいうMAD Cityを「かつての松戸宿の賑わいを取り戻す」という意味だと受け止めているのかもしれない。

「理解の仕方は、人それぞれでいいと思うんです。世代は違えど、世界観はそんなにズレていない。松戸という町を大切にしている地元の方々にとっては松戸宿の話であっていいし、僕らにとってはMAD Cityに若い人たちを呼び込むという話であればいい。現実に、僕らが活動することによって、お祭りの時に神輿の担ぎ手が増えたり、地域で何かやる時に手伝いに来る若い奴が増えて、喜んでもらえる。それでいいんじゃないかと思っています」

町の歴史と伝統に対するリスペクト。もとからいる人も、よそから来る人も、それが心の底で通じ合えば、言葉は違っても思いは同じになれる。

2012年4月に発足した「松戸まちづくり会議」に参加している年齢層は、20代から80代までバラエティに富んでいる。アーティストやクリエイターの発想に刺激され、地元の人たちからも「こんなことをやりたい」とアイデアが出るようになってきた。今後、マンションに住む“千葉都民”を地域活動に巻き込んで地元意識を高めてもらうには、どんな仕掛けが必要なのだろうか。

「すごく大雑把にいうと、松戸駅前の地元コミュニティーには人情やワイルドさといった下町の良さが残っている。一方で、マンションの方たちだってそういうコミュニティー感に興味はあるけど、でも受け付けるものって、まずはある程度に都会的で、洗練されたものなんです。そういう方々と地元をつないでくれるのがアーティストだと思う。そういう存在としても期待しています」

町の出来事に関わる人が増えれば増えるほど、町のクオリティは上がっていく。寺井さんはそう信じている。MAD Cityのこれからが、ますます楽しみだ。

MAD City https://madcity.jp/
暮らしの芸術都市(松戸まちづくり会議) http://matsudo-artline.com


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