写真1枚で生まれる世代を超えたコミュニケーション
「昭和35年……たぬきそば10円だったわねえ」
「子どもの頃、デパートの屋上の遊園地で遊ぶのが楽しみだったな」
「この建物、わたしのおじいちゃんが建てたのよ」
地域の昔の写真を見ながら、お年寄りが懐かしそうに目を細める。思い出話に興味深く耳を傾けているのは、地元の大学生たちだ。
千葉市中央区白旗の七夕祭りで行われたイベント「白旗思い出ポスト」。パネルとファイルの古い写真をきっかけに高齢者と若者の話がはずんでいる。
白旗町の地図に昔の写真を貼り付け、思い出話に花を咲かせる
これは「historypin(ヒストリーピン)」と呼ばれる取り組みを導入したものだ。地域に眠る古い写真を媒介にして、過去の記憶や風景を共有することによって、世代を超えた対話と交流を生み出し、市民同士のつながりを強め、文化を継承する。
イギリスのNPOが2011年に開発したプログラムで、市民対話ワークショップと無料ウェブサイト(昔の写真をGoogleマップのストリートビューに重ね合わせて配置できるアプリケーション)で構成される。
白旗地区の七夕祭りは、地元の淑徳大学生が中心になって運営し、町内会と商店会が協力。今回、千葉市でオープンデータを推進する市民の有志団体「オープン!ちば」と淑徳大学生が連携し、七夕祭りのイベントの1つとして、ヒストリーピンの手法を使った「白旗思い出ポスト」を実施することになった。
オープンデータを市民が活用する一例として
千葉市広報がデジタルアーカイブしていた3万枚の古い写真から、話題が広がりそうなおもしろいものをピックアップしてテーマ別にファイリング。パネルには、千葉市広域から白幡地区まで今の地図に昔の写真を対応させて掲示した。訪れた人生の先輩から学生たちの聞いたコメントが随時、ふせんで追加される。
「オープン! ちば」に自治体として関わる千葉市市民局局長の金親芳彦さんは「古い写真を見ながら語り合っていただくことで、地域の皆さんの交流がもっと盛んになる。これもオープンデータの活用例の1つです」と語る。
千葉市市民局局長 金親芳彦さん
今の地図と昔の写真が対応したデータは、ヒストリーピンのウェブサイトにアップされ、誰でもアクセスできる。「アプリケーションとしてヒストリーピンを使っていることは確かですが、なるべく表に出さないようにしました」と言うのは、「オープン! ちば」に一市民として関わる畠中一幸さん(富士通株式会社行政システム事業本部)。
富士通株式会社行政システム事業本部 畠中一幸さん
「昔の写真を見て話が盛り上がるのが大切なのであって、あくまでもツールとして使うのがICTだからです」
出しゃばらないICTのおかげでお年寄りにも敷居の低いイベントになった。
淑徳大学3年生で地域支援ボランティアセンター学生代表の木村有花さんは「知らない時代のことを、お年寄りに教えてもらうのが楽しい」と話す。「〈オープン! ちば〉の方々と学生たちでミーティングを重ね、アイデアを練った過程も楽しかったです。わたしは地域活性化の仕事をしたくて、コミュニティ政策学部にいるので、将来やりたいことがいま実践できている気がします」。
淑徳大学3年生 地域支援ボランティアセンター学生代表 木村有花さん
七夕祭りが終わっても「白旗思い出ポスト」は、白旗商店会と淑徳大学が共同運営するコミュニティースペース「絆カフェ」で常設展示されている。
「新しい公共」との接点をもつツールとして
ヒストリーピンの日本での窓口は、イギリス文化を世界に紹介する公的機関ブリティッシュ・カウンシルと株式会社富士通研究所。ウェブサイトを日本語化し、2013年から一般公開している。ワークショップはこれまで静岡県富士宮市(http://vimeo.com/89067319)、愛知県名古屋市などで開催した。
富士通研究所R&D戦略本部の原田博一さんは「2012年に〈フューチャーズ〉というプログラムに関わったのがヒストリーピンとの出会いのきっかけ」と振り返る。
株式会社富士通研究所R&D戦略本部 原田博一さん
「〈フューチャーズ〉は、ブリティッシュ・カウンシル、国際大学グローバルコミュニケーションセンター、富士通研究所、フューチャーセッションズの4者が連携して、日英共通の社会課題を企業の視点から考えるプログラムでした。ワークショップの設計やファシリテーションをするプロジェクトチームでイギリスへ視察に行った際、ヒストリーピンを開発したNPO “We are What We Do” の人たちのプレゼンテーションを見て、地域のコミュニケーションを促進するためのツールとしてICTをうまく使っているところがすばらしいと思ったのです」
このツールをエントリーポイントとして、富士通と自治体などとの関係が、情報システムに限らず、地域活性化やまちづくりに関わる部門や事業に広がるかもしれない。さらには、NPOや地域団体など新たな公共サービスの担い手と接点をもつ足がかりにもなるだろう。それだけでも相当にインパクトがある。原田さんはそう直感し、ヒストリーピンを日本でも展開したいと考えた。