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人とスポーツの接点をどうつくる?──地域を巻き込む川崎フロンターレの挑戦

2015年12月01日



人とスポーツの接点をどうつくる?──地域を巻き込む川崎フロンターレの挑戦 | あしたのコミュニティーラボ
地域に根ざして事業を営むには、地元に受け入れてもらうことが欠かせない。この視点で、先進的に地域や社会と向き合っているのが、プロサッカーチームの川崎フロンターレ(以下、フロンターレ)だ。前身は1955年に創部された富士通サッカー部。今ではJ1リーグの強豪として優勝争いの常連になった。一方で、リーグでも指折りの地域密着クラブとしても知られている。企業にルーツを持つチームが、いかにして人気市民クラブになったのか。そこには、社会とのコトづくりを信念に掲げるプロモーション活動のキーマンと、選手たちの理解があった。(TOP画像提供:川崎フロンターレ)

陸前高田市との友好提携、そのきっかけは算数ドリル

陸前高田市での活動の様子(提供:川崎フロンターレ)陸前高田市での活動の様子(提供:川崎フロンターレ)

2015年9月、神奈川県川崎市をホームタウンとするサッカークラブチーム・川崎フロンターレと、岩手県陸前高田市の友好提携「高田フロンターレスマイルシップ」が締結された。「きっかけは“あの算数ドリル”。震災からしばらくして教材が足りていないことから、川崎市を通しうちに連絡がありました」。そう話すのは、チーム運営会社「株式会社川崎フロンターレ」でサッカー事業部プロモーション部長を務める天野春果さんだ。

天野さんの言う“あの算数ドリル”とは、2009年からフロンターレが独自に作成し、川崎市内の小学校に配布しているオリジナルドリルのこと。ドリルのなかには中村憲剛選手や大久保嘉人選手をはじめチームに所属する選手が登場し、設問にはサッカーやフロンターレを題材にした問題文が並ぶ。

算数ドリルを使ったイベント。ここにももちろん選手が参加する。楽しみながら算数を学んでもらうとともに、フロンターレおよび選手の知名度向上にも一役買っている(提供:川崎フロンターレ)算数ドリルを使ったイベント。ここにももちろん選手が参加する。楽しみながら算数を学んでもらうとともに、フロンターレおよび選手の知名度向上にも一役買っている(提供:川崎フロンターレ)

「プロモーションは一石三鳥、四鳥を狙わないとだめ。被災地の現状を知ってもらう。現地の経済が活性化する。地元住民との交流も図れる──。スマイルシップがあることで僕らが市民と一緒にできることが増え、お互い支えあうという目的のもとで活動したい」

行政との連携のコツは「自分たちをこう使え」!?

ドリルを提供した2011年から、天野さんらは陸前高田市民との交流を深めていた。選手のこと、サッカーのこと、川崎市のことを知ってもらおうと、イベントを通じて市民と触れ合い、今では「何でも話し合える関係」に。それは、地元・川崎市における市民クラブのプロモーションで行ってきたことと、まったく同じだ。

当時のチーム運営母体である「富士通川崎フットボールクラブ」に天野さんが入社したのは、1997年。当時のJリーグではまだ、本格的に“地域密着”を打ち出すクラブチームが少なかったことから、新たな市民クラブを受け入れる人は少なかった。天野さんは、そんな市民に対して徹底的に交流を図り、着実にチームの認知度を上げていった。

2001年には親会社の理解もあり、当時の運営会社名を「富士通川崎スポーツマネジメント株式会社」から「株式会社川崎フロンターレ」に改称し、企業色も薄めた。2004年にはチームのエンブレムから「FUJITSU」の名前も消え、川崎市が出資して企業ブランドもない、本格的な「市民クラブ」がこの頃誕生した。

2005年からは、川崎市が「シティセールス・広報室」(現・川崎市市民・こども局市民スポーツ室)を設置した。「教育ではなく地域密着のスポーツ。その専用窓口を市に求めた結果」と天野さん。市との連携の機会はこうして増えていったが、はじめから“いい関係”が築かれていたわけではない。その点、うまく乗り越えたコツを天野さんは次のように話す。

株式会社川崎フロンターレ プロモーション部 部長 天野春果さん株式会社川崎フロンターレ プロモーション部 部長 天野春果さん

「当時の行政担当者の返答は、とにかく『前例がない』。やったことがない、だからわからない。こういう場合、ただ闇雲に『何か支援してくれ』と交渉しても無駄で『自分たちをこう使ってくれ、そうすれば、まちにとってこんなにプラスになることがある』と提案していかないと、うまくいかないものなんです」

キーマンは生え抜きキャプテン!? 支えてきたのは入団当時からの教え

フロンターレの選手を起用した川崎市の献血ポスターフロンターレの選手を起用した川崎市の献血ポスター

市民、行政と同様に忘れてはいけないのが「選手」との関係構築だ。フロンターレは、市の推進する事業にも市の制作するポスターにも、無償で選手を派遣する。算数ドリルにしたって、掲載される写真は撮り下ろし。選手に対し、チーム強化とは直結しないプロモーション活動に時間を割いてもらうことには「正直はじめは反応も悪かった」と天野さんは漏らす。「でもそれは僕の役目と割り切った。汚れ役になっても言うべきことは言わないと、先々の計画の土台もつくれない」。

しかし理解者もいた。なかでも大きな存在だったのは伊藤宏樹さんだ。伊藤さんは2001年に川崎フロンターレに入団した元サッカー選手。入団後、すぐにDF(センターバック)のレギュラーに定着した。

現役時代の伊藤宏樹さん。スマートでクレバーなDFとしてJリーグでも有名だった(提供:川崎フロンターレ)現役時代の伊藤宏樹さん。スマートでクレバーなDFとしてJリーグでも有名だった(提供:川崎フロンターレ)

伊藤さんが入団した2001年からの数年間は、フロンターレにとって印象深い時代でもある。同年、フロンターレはJリーグの下位リーグ「Jリーグ ディビジョン2(J2)」に降格していたためだ。J2に降格したばかりで意気消沈していた選手たちにも、天野さんはサッカー選手としてあるべき姿を教えた。

「僕は必ず何のためにやるのか、目的をしっかり伝えます」と天野さん。「目的は、ホームスタジアム・等々力スタジアムを満員すること。そして、再びJ1に昇格して優勝すること。そのためにはスタジアムに足を運んでくれるサポーターが不可欠であり、サポーターがいるからプロの選手は好きなサッカーができる」。そのためにも感謝の気持ちと謙虚な姿勢を欠かしてはいけない。ピッチのなかで輝くだけでなく、ピッチの外に出ても大切なことがあった──。入団間もなくその教えに触れた伊藤さんは、「結果は目に見えてわかったし、お客さんが増えるごとに、そして勝つごとにやりがいも感じた」と当時を振り返る。

2005年、フロンターレは晴れてJ1に再昇格した。伊藤さんは同年、当時の関塚隆監督にキャプテンに抜擢される。「他のクラブチームから移籍してきた選手も多く、気持ちがばらばらになってしまうこともあった」というが、伊藤さんはキャプテンとして、天野さんから教えられたフロンターレの教えを説き、新たな仲間を「フロンターレカラー」に染めていった。「リーダーシップなんてなかったですよ」と謙遜する伊藤さんだが、天野さんは「フロンターレ生え抜きの中心選手&キャプテンとして、僕らと意識を共有し、主体性を持ってやってくれた」と、感謝を示す。

株式会社川崎フロンターレ プロモーション部 伊藤宏樹さん株式会社川崎フロンターレ プロモーション部 伊藤宏樹さん

伊藤さんを中心とするリーダーシップが浸透し、2005年以降、チームは毎年のように優勝争いを演じるほどの躍進を続けた。伊藤さん入団当初のJ2時代は1万人に満たなかった平均観客動員数も、現在では1試合平均で1万6,000〜1万8,000人程度を誇るようになり、すっかり川崎の市民クラブとして定着している。

川崎市内の街道沿いに掲げられた川崎フロンターレの横断幕。フロンターレは、すっかり市民が誇るクラブとして定着している川崎市内の街道沿いに掲げられた川崎フロンターレの横断幕。フロンターレは、すっかり市民が誇るクラブとして定着している

人気キャラ「ヒロキー」はセルフプロモーション

2013年に現役を退いてから、伊藤さんはプロモーション部に“入社”し、今度はイチ社員として企画・運営に携わっている。最近は「ヒロキー」なるキャラクターでイベントに登場することもしばしば。市民、サポーターを楽しませる。

伊藤宏樹さん扮する「ヒロキー」(提供:川崎フロンターレ)
伊藤宏樹さん扮する「ヒロキー」(提供:川崎フロンターレ)

「はっきり言っておくけど、あれについては、いっさい僕は関わっていない!(笑)」

そう天野さんがいうとおり、ヒロキーは伊藤さんによるセルフプロデュースで「どうせやるならとことんやりたい。同じような立場にいる選手からは驚かれるけど、彼らもいつか巻き込みたいですね(笑)」と、伊藤さんは意気込んでいる。

天野さんは伊藤さんの転身に対し「僕らは選手にはなれないけど、選手は僕らになれる。それが彼の強み。日本に足らないのはこういう人材で、選手のキャリアが事業で力を発揮することは絶対にある。将来のGM候補ですよ(笑)」と、これからの部下の活躍に太鼓判を押す。

スポーツは、日本に残された黄金郷

人を熱狂させることに、大きな可能性を持つスポーツは、私たちの日常に光を宿し、生活の質を豊かにしてくれる。人とスポーツの接点が増えれば、その機会も増えていくはずだ。

アメリカへの留学でスポーツマネジメントを学び、現在の活動をはじめた天野さんは「スポーツは、日本に残された黄金郷」だと提言し、こう続ける。

「日本には音楽や食文化はあるけど、スポーツに関してはどうもギクシャクしている。企業の宣伝に使われるだけで終わってしまうような関係でなく、きちんと人同士の関係をつなぐものにしたい。僕らの挑戦は、まだはじまったばかり──」

欧米に比べると、いささか遅れをとる日本のスポーツビジネス。2020年の東京オリンピック&パラリンピックを契機に、活動の輪が広がることに期待したい。

地域に根ざした活動が、コミュニティーの輪を広げている(提供:川崎フロンターレ)地域に根ざした活動が、コミュニティーの輪を広げている(提供:川崎フロンターレ)

【関連リンク】
川崎フロンターレ


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