エコシステムづくりの同心円をどう拡げるか──NPO法人ETIC.代表理事 宮城治男さん(後編)
「起業という新しい選択肢」を知らないのはもったいない
──NPO法人ETIC.(Entrepreneurial Training for Innovative Communities 以下、ETIC.)は20年以上にわたって次世代の起業家リーダーを育成するプログラムを提供し続けています。そもそも宮城さんがそうした事業をはじめるきっかけは、学生時代に立ち上げたイベントだったそうですね。
宮城 起業家として活躍している方々をキャンパスに招いてセミナーを開催したり、実際に事業を立ち上げようとしている大学生のビジネスプランを作成するサポートを、サークル的にメンバーを集めて行っていました。1993~94年ごろですから、起業するとかベンチャー企業に勤めるといった選択肢は、その当時の卒業後の大学生の進路には入っていませんでした。けれども、そうした選択肢もあり得る、ということを周りの仲間に伝えたかったんですね。
──なぜ伝えたいと思ったのですか。
宮城 起業家のスタートアップに融資する組織でアルバイトをしていた先輩から聞いて、会社というのは入れてもらうものとしか思っていなかったけれど、自分でつくることも可能なんだ、とはじめて知ったんです。
それを周りに伝えたいと思った理由には2つあります。1つには、自分で事業をはじめたらのびのびと活躍しそうな、起業家になるべくして生まれたような人たちが周りにいるのに、その選択肢に気づかないのはもったいないと思ったこと。
もう1つは、どちらかといえばこちらのほうが大きいのですが、起業家になることそのものよりも、起業家的な生き方に象徴されるような、自分の人生を自分で選ぶ生き方に気づくと、もっと自由になれるはず、と思ったからです。せっかく努力してチャンスを広げてきたのに“いい大学に入ったからいい会社に就職しなければ”といったように、社会に出るとき自分の可能性を閉じてしまう生き方を選んでしまうのはもったいない。
しかも、就職した先輩たちに会うと、会社の愚痴ばかり言っていて、学生時代のほうがよっぽど楽しそうだった。会社がイケてないからとか、景気が悪いからとか、周りに依存して自分の生き方をつまらなくしているのはカッコ悪いなと感じていました。
──それで宮城さん自身も起業家的な道に進みたいと思ったわけですね?
宮城 いや、純粋に伝えたかっただけで、自分で起業するなんてまったく考えていませんでしたし、いまだかつて、そんな決断をした記憶もないんです。
──そうなんですか(笑)。いつのまにか起業していた?
宮城 そうですね。就活の時期も気がついたら終わってた、みたいな(笑)。
──当時、起業家と大学生をつなげるようなイベントは、学生も目を見開かされたし、社会へのインパクトも大きかったのではないですか。
宮城 まだ起業という言葉は一般に響きませんから、94年に開催した最初の対外的なイベントは、テレビの『ねるとん紅鯨団』(編集部注:1987年から1994年に放映されていたお笑い芸人とんねるずが司会を務めたバラエティー番組)で流行していたフレーズを拝借した「就職ちょっと待ったシンポジウム」。
インターネットもない時代に日本経済新聞の小さなベタ記事だけで200名くらいの学生が集まり、10社以上のメディアが取材に来ました。ちょうど就職氷河期にさしかかる頃で、アンテナを張っている一部の学生が、苦況に萎縮するのではなく、「先輩がやってきた就活の先に自分の生きがいがあるのか?」と疑いを抱きはじめた時期だったんですね。
「その仕事をしたい」学生を集めるしくみ
──そして、ベンチャー企業への長期実践型のインターンシップ事業をはじめられますが、今では珍しくない企業インターンシップの先駆けでした。これにはどんな経緯があったのですか。
宮城 セミナーや勉強会で起業家と出会い、人生観が変わる衝撃を受け、数カ月見ないうちにすごく成長したというか、精悍になった印象の人がいて、聞いてみると起業家の元に弟子入りしていた、と。「アクションを起こして、はじめて人は変われるんだな」と思いました。
自分でゼロから起業するとなると特に当時はハードルが非常に高かったですが、ベンチャー企業の経営者の元で新規事業の開発などに携わることによってハードルの低い起業経験ができます。そんなしくみを提供できないかと思ってはじめたのがインターンシップ事業です。
──ベンチャー企業のほうは、そうした提案を歓迎しましたか?
宮城 インターンシップ事業を開始した97~98年頃は、ベンチャー企業の勃興期で、若手の起業家は全員が知り合いといっていいほど少数でした。
孫正義さん(ソフトバンクグループ株式会社 代表取締役社長)、増田宗昭さん(カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 代表取締役社長)、澤田秀雄さん(株式会社エイチ・アイ・エス 代表取締役会長)、南部靖之さん(株式会社パソナグループ 代表取締役グループ代表)など……。
企業インターンシップの概念がまだなかったので、最初は国の調査事業を活用し、無料で「お試し」いただいて、ふた回り目くらいから徐々に事業化していきました。持続できるしくみにするには、企業にとってもボランティアで受け入れる人材ではなく、新しいチャレンジを行う際に戦力となる人材でなければなりません。実際、インターンに入った学生はその企業の戦力になっていました。なぜなら当時、こうした切り口でインターンに来る学生は意識が高く優秀だったからです。たとえば株式会社ワーク・ライフバランスの代表取締役社長 小室淑恵さんはインターン第1世代でした。
──学生には企業でこんなことをしたい、という意思があるわけですね。
宮城 それを前提でマッチングしました。誰も知らない企業ですから、看板につられて人は来ません。一攫千金でIPO、みたいなことも当時はまったくなく、今のようにインターシップを経験したら就職に有利ということもなかった。
会社で働くことによって採用につながるのではなく、仕事をプロジェクトごとに切り取って学生に見せていく形をとったので、その仕事をやりたい学生が来ました。そのやり方は今でも変わっていません。企業が新規事業に挑むとき、社員だけでチームを組むと高いコストがかかります。そのテーマに興味のあるベンチャーマインドを持った優秀な若者を巻き込むのは賢いやり方だと思っています。
若者を挑戦すること、育つことと、会社がイノベーションを仕掛けて進化していく関係性をつくりだす、というのがETIC.の提供するプログラムのスタンスです。そういうプロセスをへて、受け入れ企業だったたくさんのベンチャーが加速していきました。90年代後半はITベンチャー創業時の人事部のような機能を担っていたといえるかもしれません。そしてインターンシップのOBから200名近くが起業していますが、そこがまた受け入れ企業にもなり、IPOしていく、という循環も生まれています。